2013年9月
また来年 十楽で会うべな
とめ 「いやぁ~十楽おもしがったなぁ、はつぁんよぉ」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「まだ来年もやんだべした?」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「今度は天気いいど、いいな」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「夜もやっぺな」 はち……
感謝
會津十楽 14日〜16日の3日を予定しておりましたが、14・15の両日は台風の接近に伴い、安全を最優先に考えモノポリーを除くイベントを中止とさせて頂きました。 今の会津を作り上げてきた歴史は幕末ばかりではない事、幕末に劣……
氏郷の墓 興徳寺
1589年に伊達政宗が会津に侵攻、芦名を滅ぼしました。政宗は興徳寺を仮館とし、翌年豊臣秀吉が会津に入り奥州仕置のための御座所としたのも興徳寺でした。なぜお城ではなかったのでしょう?それは当時の興徳寺はお城よりもはるかに広……
氏郷エピソード 頑固一徹
稲葉一徹 氏郷が織田信長に預けられていた幼少のころの話です。美濃の名将、稲葉一徹が信長と小姓たちに戦話しをしていました。夜も更けてきて小姓たちが居眠りをし始めている中、氏郷だけは目を輝かせて一徹の話に聞き入っていました。……
氏郷公御用達 五郎兵衛飴
會津で創業800年。五郎兵衛飴本舗は蒲生時代、御用達となり写真は氏郷公から頂いた御判板、当時のものです。そのころ、五郎兵衛飴にまつわる幽霊話が會津のまちでもちきりになったことがありました。「五郎兵衛飴の屋敷に出たる幽霊。……
南蛮人とメガネ
日本人で初めてメガネをかけたのは周防の大名、大内義隆です。フランシスコ・ザビエルからの贈り物でした。これを機に、諸大名の間では次第に広まっていきました。しかし、庶民がメガネを始めて見るのは、それから30年後のことです。織……
會津と長崎 戦幕の縁
日本初のキリシタン大名は大村純忠です。ポルトガルに貿易港として長崎を提供し、天正遣欧少年使節団を派遣しました。氏郷とはもちろんキリシタン大名仲間でありました。長崎と會津の縁はここから始まり、貿易という点で幕末まで長いお付……
氏郷エピソード 信長の婿
宣教師が描いた織田信長 氏郷には「風流の利発人」というあだ名もありました。若干12歳で恋歌師・里村紹巴に「少しも姿勢を崩さず、また酌をとり謡うので・・・」と感心され、信長に13歳で「この者の眼光、只者に非ず」と端竜寺の南……
南蛮貿易 トランプとかるた
プレーイングカードを何故日本だけトランプと呼ぶのでしょうか?南蛮人(ポルトガル人)たちが、ブリッジなどをしていてトランプ(切り札)、トランプと言っているのを日本人が勘違いしたのがその理由です。もう一方でトランプから日本独……
氏郷エピソード のぼうの城
最近、映画「のぼうの城」が上映され話題となっています。のぼう様は実在の人物です。天正18年、秀吉は北条氏攻略のため進攻、忍城を除いて小田原城はじめことごとく陥落させました。この忍城城主が「のぼう様」こと成田長親です。この……