氏郷の墓 興徳寺

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1589年に伊達政宗が会津に侵攻、芦名を滅ぼしました。政宗は興徳寺を仮館とし、翌年豊臣秀吉が会津に入り奥州仕置のための御座所としたのも興徳寺でした。なぜお城ではなかったのでしょう?それは当時の興徳寺はお城よりもはるかに広大な敷地を有していたからでした。数千の兵が駐留する場所はそのころはこの寺しかなかったんですね。興徳寺から、秀吉は東北の平定を宣言、奥州仕置を行い、蒲生氏郷が会津の領主となりました。氏郷は再び会津に十楽の地を作るべく、殖産興業に勤め現在の商・工業の礎を築いたのです。勇壮な武将であり卓越した経営者、そして何人からも慕われた「愛の人」レオ氏郷。氏郷は今、興徳寺に静かに眠っています。しかしその精神は400年の時を経ても尚、会津と共にあるのです。
明日から開催される會津十楽。會津人の内にある、氏郷スピリッツ。あなたの内にあるサムライスピリッツを見つけに来てみませんか。
ご来場、心よりお待ちしております。