NEWS

黒田官兵衛と氏郷

天正10年、官兵衛は盟友、蒲生氏郷の勧めでキリシタンになりました。洗礼名、ドン・シメオン。それ以降、官兵衛はSIMEON IOSUIとポルトガル式ローマ字で刻印された印章を使いました。 作家、海音寺潮五郎は生前「天下を取……

続きを読む>>

利休の酒

戦国時代、宣教師によりリキュールを「利休酒」として秀吉に献上した記録があります。キリシタン大名は、リキュールをベースにカクテルをすでに飲んでいたと言われています。これは当時の酒の質が、今よりはるかに劣るものであり、その味……

続きを読む>>

雅楽~悠久の調べ~

世界最古のオーケストラと言われている雅楽は、室町時代、応仁の乱で京が戦場となったことで長い間絶えていました。戦国を経て、秀吉が天下を取ると、貴族の世界に憧れていた秀吉は各地に散った雅楽を集成し、「三方楽所」を創設、再び祭……

続きを読む>>

ヴィオラ・ダ・ガンバ

1590年にローマに派遣されていた天正遣欧少年使節が帰国すると、信長に謁見。そのときにヴィオラ・ダ・ガンバの演奏が披露されました。初めて聴く洋楽の和音に信長も感動したことでしょう。その後各地のセミナリオで教会音楽が奏でら……

続きを読む>>

また来年 十楽で会うべな

とめ 「いやぁ~十楽おもしがったなぁ、はつぁんよぉ」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「まだ来年もやんだべした?」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「今度は天気いいど、いいな」 はち 「んだ、んだ」 とめ 「夜もやっぺな」 はち……

続きを読む>>

感謝

會津十楽 14日〜16日の3日を予定しておりましたが、14・15の両日は台風の接近に伴い、安全を最優先に考えモノポリーを除くイベントを中止とさせて頂きました。 今の会津を作り上げてきた歴史は幕末ばかりではない事、幕末に劣……

続きを読む>>

氏郷の墓 興徳寺

1589年に伊達政宗が会津に侵攻、芦名を滅ぼしました。政宗は興徳寺を仮館とし、翌年豊臣秀吉が会津に入り奥州仕置のための御座所としたのも興徳寺でした。なぜお城ではなかったのでしょう?それは当時の興徳寺はお城よりもはるかに広……

続きを読む>>

氏郷エピソード  頑固一徹

稲葉一徹 氏郷が織田信長に預けられていた幼少のころの話です。美濃の名将、稲葉一徹が信長と小姓たちに戦話しをしていました。夜も更けてきて小姓たちが居眠りをし始めている中、氏郷だけは目を輝かせて一徹の話に聞き入っていました。……

続きを読む>>

氏郷公御用達 五郎兵衛飴

會津で創業800年。五郎兵衛飴本舗は蒲生時代、御用達となり写真は氏郷公から頂いた御判板、当時のものです。そのころ、五郎兵衛飴にまつわる幽霊話が會津のまちでもちきりになったことがありました。「五郎兵衛飴の屋敷に出たる幽霊。……

続きを読む>>

南蛮人とメガネ

日本人で初めてメガネをかけたのは周防の大名、大内義隆です。フランシスコ・ザビエルからの贈り物でした。これを機に、諸大名の間では次第に広まっていきました。しかし、庶民がメガネを始めて見るのは、それから30年後のことです。織……

続きを読む>>