2013年8月
氏郷が遺したもの 会津漆器
会津漆器は歴史的にみて、輪島塗、津軽塗よりも早くから盛んとなっていました。氏郷が会津に入ると、日野から生地師や塗り師を招き、これまでの技術との融合により独自の会津塗が誕生していきます。写真の椀は蒲生時代の会津塗と思われる……
氏郷、まちづくりの才
近江・日野から氏郷は2回の転封の度に地名を変えています。伊勢では松ヶ島を松坂に、陸奥、黒川を若松に。氏郷はただ地名を変えたのではありません。それまでの土着の技術に日野の高い技術と商売のノウハウを注入し、殖産興業を図るため……
氏郷エピソード 西村氏
氏郷に西村という家臣がいました。彼は非常に優秀な男で、氏郷の信望も厚かったのですが、ある戦で勇み足から軍規違反を犯します。氏郷は泣いてバショクを切ることに。放逐されて数年後、再び西村は仕官を願い出ます。氏郷は「それでは私……
氏郷のロザリオ
氏郷はいつも大きなロザリオと十字架を胸に、腰には馬上杯を提げていたといいます。近年、氏郷の盟友、高山右近の天主堂跡から日本最古といわれる当時のロザリオが発掘されました。氏郷の死後、加藤氏によってキリシタンの関連のものがほ……
会津万歳
戦国時代に京や大坂などに声聞師と呼ばれる語りや舞いなどをする芸能人がいました。秀吉はかれらを三河に集め住まわせました。その中から三河万歳が出来上がります。万歳は太夫と才蔵の組み合わせで、才蔵の打つ鼓の拍子に乗って祝言を述……
千少庵の恩
「こうしん夏書」によると利休七哲の筆頭は蒲生氏郷、2番高山右近、3番細川忠興、四番芝山宗綱、5番瀬田掃部、6番牧村利貞、7番古田織部となっているように、氏郷と利休とは特に親交が厚かったのです。それでも千利休を助けることが……
お伽衆 千利休
戦国時代にお伽衆という役職がありました。主君に武勇伝、民話、怪談話し、また諸国の動静などを講釈する役割や、時に主君の相談事にも乗っていました。彼らの講釈話が庶民に広がり、のちの講談、落語の源流ともなりました。千利休は秀吉……
會津に響いた南蛮音楽 2
南蛮音楽を楽器と共に最初に日本に持ち込んだのは、フランシスコ・ザビエルでした。当時の西欧には教会音楽と民衆の世俗曲とがありました。ザビエルはケルトの民です。ケルトは東はチェコから西はスペイン、バスク地方、アイルランド、ス……
会津に響いた南蛮音楽 その1
キリシタン大名であった氏郷は、本気で「愛の国」を作ろうとしていました。宣教師ヴァリアーニが帰国する際、氏郷はその旨をヴァリアーニに宣言し、周りを驚かせました。その後氏郷はローマ教皇から感謝の手紙を受け取っています。当時3……
氏郷エピソード 伊達正宗
伊達正宗が蒲生氏郷に刺客として送り込んだ清十郎という16歳の少年。奉公させるという形でスパイ活動をさせ、隙を伺い氏郷を暗殺させようとしたことが露見し、清十郎は投獄されます。評定で氏郷は、「年ゆかぬ身で命を捨て主命を遂行し……