NEWS

氏郷エピソード 安達ヶ原の鬼婆

蒲生氏郷が會津に入ると、隣国伊達政宗と領の境界をめぐり度々対峙します。政宗は、氏郷の領内で一揆を起こさせたり、暗殺を企てたりと氏郷はかなり手を焼いていたようです。 あるとき、またもや政宗は氏郷領内安達が原の川をはさんだ向……

続きを読む>>

セミナリヨ その2

当時セミナリヨ・教会には日本の礼式・教養を身に付けるために茶室があり、茶道を学んでいたそうです。 島原に残っていたセミナリヨに関する記録には、当時の生徒の名簿には驚くことに海外の留学生の名が連ねられています。また、イタリ……

続きを読む>>

戦国時代の子供

宣教師ルイス・フロイスは「日欧文化比較」の中で、日欧の子供の違いについて以下のように書き記しています。「我々の子供たちは、その立ち居振る舞いに落ち着きがなく、優雅を重んじないが、日本の子供たちはその点賞賛に値する。のびの……

続きを読む>>

會津唐人凧

唐人凧は約400年前、オランダの商人が長崎に持ち込んだといわれていますが、長崎、木更津、そして會津地方だけに伝わっています。凧の形にクルス(十字架)が隠れていてキリシタンが伝えてきたとも、會津ではキリシタン大名の蒲生氏郷……

続きを読む>>

日本覚書

宣教師、ルイス・フロイスが書き残した「日本覚書」。当時のヨーロッパ人と日本人の違いについて興味深い内容が書かれています。そのいくつかをご紹介します。 1、我々は夫が前方を、妻が後方を歩くが、日本人は妻が前方を、夫が後方を……

続きを読む>>

担い茶屋

担い茶屋とは、風炉、釜、茶道具を天秤棒で担ぎ、人々が集まるところへ行って茶を売るものです。太閤記によれば、肥前名護屋の陣中で秀吉が仮装の余興を行った際、蒲生氏郷が担い茶屋売りに扮して秀吉はじめ諸大名に茶を振舞いました。会……

続きを読む>>

利休の娘 お吟さま

「お吟」は今東光の直木賞作「お吟さま」で名が知れるようになった利休の娘です。つまりは千少庵の姉で、秀吉を袖にしたために、それを怨んで秀吉は利休を切腹に追いやったという説もあります。この小説には、お吟は初恋の人キリシタン大……

続きを読む>>

南蛮人

私たちがふつう南蛮人で思い起こす姿は、当時の日本人が描いた南蛮絵図に描かれているものですが、本当の服装は上の写真のようなものです。会津十楽では蒲生時代の南蛮人の服装をかなり忠実に再現してご披露します。いつ城内に現れるのか……

続きを読む>>

茶人 氏郷の茶碗

赤楽早船 利休七種茶碗の一つです。利休が茶会のために早船で運ばせたことから早船の名がついたということです。細川幽斎、古田織部が熱心に所望しましたが、結局利休は氏郷に贈っています。 氏郷は自らも大塚山に当時東日本最大の登り……

続きを読む>>

氏郷が遺したもの  会津漆器

会津漆器は歴史的にみて、輪島塗、津軽塗よりも早くから盛んとなっていました。氏郷が会津に入ると、日野から生地師や塗り師を招き、これまでの技術との融合により独自の会津塗が誕生していきます。写真の椀は蒲生時代の会津塗と思われる……

続きを読む>>