蒲生氏郷が遺したもの その1
氏郷は義父である織田信長のだるま信仰を倣い、起き上がり小法師を広めました。下級武士に、起き上がり小法師や風車、初音などを作らせて正月の初市で売らせ生計の助けにしたのです。写真の小法師は400年前当時のものです。今の小法師……
傑出した武将
蒲生家に仕官した者に氏郷はいつも「銀の兜の侍が一番に乗り出すから、その男に負けないように働け」と言っていました。その一番の侍こそ氏郷でした。氏郷の洗礼を行い、信長、秀吉と知己を得ていた宣教師オルガンティーノは氏郷について……
レオ氏郷の親友 高山右近
氏郷はキリシタン大名であった高山右近の影響により、大阪で洗礼をうけました。右近のクリスチャンネームは「ジュスト」(正義の人)。右近もまた千利休の高弟七哲の一人でした。氏郷が息を引き取るときには、右近がずっと付き添っていた……
蒲生風呂
氏郷は月に一度、家臣を集めて、屋敷で会議を行っていました。この席上では「怨まず、怒らず」が約束事になっており自由な発言が許されていました。会議後には料理が振舞われ、氏郷自ら風呂を入れ家臣を労いました。家臣たちはその部下思……
イタリア人家臣 山科勝成
氏郷の家臣、ロステル(日本名、山科勝成)は、イタリア人宣教師のオルガンティーノと共に来日し、はじめ伊勢・亀山城主の関一政に仕え、その後氏郷に外国人武士として召し抱えられます。彼は三大騎士団の一つ、聖ヨハネ騎士団の騎士でし……
キリシタン大名 その2
「泰西王候騎馬図」 南蛮美術の傑作と評されるこの屏風は、蒲生氏郷から幕末まで、会津鶴ヶ城にありました。戊申戦争での落城により新政府軍の手にわたり、対の屏風は現在、それぞれ神戸市立博物館、サントリー美術館に収蔵されています……
キリシタン大名 その1
天正遣欧使節団が日本にいたヴァリアーノ神父の企画により九州のキリシタン大名の名代で4人の少年がローマに派遣され、ローマ法王と謁見。1590年に帰国。豊臣秀吉に帰国報告した際、蒲生氏郷も彼らを迎えた。その折り、氏郷はヴァリ……
マジンガーZのモデル
蒲生氏郷の兜は、ナマズ型と燕尾型の2種類ありますが、マントを羽織った燕尾型兜の氏郷の姿は、マジンガーZのモデルになったそうです。因みに燕尾型兜は、氏郷の妹の嫁入り道具として送られ。今も岩手県立博物館に本物が展示してありま……
福音の地 会津
「我らはこの地に再び十楽の地を築かねばならぬ。土地を豊かにし、商いを盛んにし、領民を幸せにすることこそが、我らの務めなのだ」 蒲生氏郷。 戦国時代、愛の国を本気で作ろうとしていた男が会津にいた。信長に’只者ではない’と言……