氏郷の時代とは

セミナリヨ

セミナリヨは修道士育成のための中等教育機関です。日本で最初に設けられたのは1580年、信長の保護のもと安土で日本人30人が入学しました。教科は聖書のみならず文学、音楽、絵画、体育、図工と近代教育の先取りともいえる内容でし……

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キリシタン大名  その4

当時、人々が着ていた衣装は小袖が主流でした。特に氏郷の時代は南蛮貿易によるキリシタン文化の影響を受けて写真に見られるような大胆で派手な柄・色使いのものが多かったようです。氏郷ゆかりの近江・日野商人が京や大阪から古着を仕入……

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キリシタン大名  その3

日本人が牛肉を初めて食べたのは文明開化の明治と言われていますが、驚くことにさかのぼること400年前、すでに蒲生氏郷は牛鍋を食べていました。「細川家御家普」にその記録が残されています。 小田原攻めの際、高山右近の陣に豊臣秀……

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蒲生氏郷が遺したもの その1

氏郷は義父である織田信長のだるま信仰を倣い、起き上がり小法師を広めました。下級武士に、起き上がり小法師や風車、初音などを作らせて正月の初市で売らせ生計の助けにしたのです。写真の小法師は400年前当時のものです。今の小法師……

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傑出した武将

蒲生家に仕官した者に氏郷はいつも「銀の兜の侍が一番に乗り出すから、その男に負けないように働け」と言っていました。その一番の侍こそ氏郷でした。氏郷の洗礼を行い、信長、秀吉と知己を得ていた宣教師オルガンティーノは氏郷について……

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レオ氏郷の親友 高山右近

氏郷はキリシタン大名であった高山右近の影響により、大阪で洗礼をうけました。右近のクリスチャンネームは「ジュスト」(正義の人)。右近もまた千利休の高弟七哲の一人でした。氏郷が息を引き取るときには、右近がずっと付き添っていた……

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蒲生風呂

氏郷は月に一度、家臣を集めて、屋敷で会議を行っていました。この席上では「怨まず、怒らず」が約束事になっており自由な発言が許されていました。会議後には料理が振舞われ、氏郷自ら風呂を入れ家臣を労いました。家臣たちはその部下思……

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イタリア人家臣 山科勝成

氏郷の家臣、ロステル(日本名、山科勝成)は、イタリア人宣教師のオルガンティーノと共に来日し、はじめ伊勢・亀山城主の関一政に仕え、その後氏郷に外国人武士として召し抱えられます。彼は三大騎士団の一つ、聖ヨハネ騎士団の騎士でし……

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キリシタン大名 その2

「泰西王候騎馬図」 南蛮美術の傑作と評されるこの屏風は、蒲生氏郷から幕末まで、会津鶴ヶ城にありました。戊申戦争での落城により新政府軍の手にわたり、対の屏風は現在、それぞれ神戸市立博物館、サントリー美術館に収蔵されています……

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キリシタン大名 その1

天正遣欧使節団が日本にいたヴァリアーノ神父の企画により九州のキリシタン大名の名代で4人の少年がローマに派遣され、ローマ法王と謁見。1590年に帰国。豊臣秀吉に帰国報告した際、蒲生氏郷も彼らを迎えた。その折り、氏郷はヴァリ……

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