千利休が切腹し、氏郷が会津で庇護した千少庵が後に千家を復興したことは有名です。その少庵が氏郷のために造った茶室が麟閣です。何故「麟閣」と命名したのかは文献が残っていません。しかし秀吉が当時、氏郷のことを「麒麟」と呼んでいたということがわかりました。ということで、あくまで推測ですが、麟閣は麒麟、つまり氏郷の茶室という意味で名付けたのではなかろうかと・・・。会津十楽春の陣では、担い茶屋もありますので、どうぞ一服。