セミナリヨ その2

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当時セミナリヨ・教会には日本の礼式・教養を身に付けるために茶室があり、茶道を学んでいたそうです。
島原に残っていたセミナリヨに関する記録には、当時の生徒の名簿には驚くことに海外の留学生の名が連ねられています。また、イタリアから芸術家を招き、西洋画をはじめオルガンや南蛮時計の製作もしていました。宣教師ヴァリアーニが定めたセミナリヨ規則によると、授業内容は*ラテン語*日本語*音楽*茶道*地理*ピクニックとなっています。
地理といえば、世界地図に日本が始めて記載されたのは1580年。オランダのオルテリウスが制作した世界地図によってでした。その地図でセミナリヨでは世界観を学んでいたことでしょうね。