背負陣太鼓

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秀吉の九州征伐では、大詰めの戦で氏郷が先鋒を務め、背負陣太鼓で自らを鼓舞し、先陣を切りました。難攻不落といわれた岩石城はたった一日で陥落し、それをきっかけに敵方武将たちは次々と恭順していきました。その時の氏郷の背負陣太鼓が延岡市に今も保管されています。

*参照画像は、兵庫県三木市で毎年5月5日に開催されている「別所公春祭り」三木甲冑倶楽部の行列の雄姿です。三木甲冑倶楽部は、戦国大名、別所長治公を偲び手作り甲冑行列を企画し毎年参加しています。
別所長治公は地元の方々から偲ばれるだけある人物でした。元は織田信長の信任厚い家臣でしたが、信長の情無き差配をきっかけに反旗を翻します。秀吉と対峙し籠城戦を行いますが、兵糧尽き、別所公は自分と家族の命と引き換えに家臣たちの助命を嘆願。
秀吉はその潔さに感銘し、それを認め、自刃の前夜、別所公のために最後の宴を催しました。
別所公辞世の句「今はただ うらみもあらじ諸人の いのちにかわる 我身とおもえば」
会津も同じように戊辰戦争での籠城戦を行っているだけに非常に琴線に触れるものがあります。

三木甲冑倶楽部 https://mikiyoroi.com
武陣太鼓 http://www.satootohibiku.com/page-243/page-250/