キリシタン大名 その5

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細川忠興は氏郷、右近とはそれぞれ利休七哲として、また一緒に牛鍋を食べた仲間でした。忠興の妻は、明智光秀の娘、珠(キリシタン名、ガラシャ)。後に光秀が起こした本能寺の変によってガラシャは数奇な運命をたどります。関が原直前、石田三成ら西軍の人質になることを拒否、死を覚悟したガラシャの時世の句は有名です。「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
夫、忠興はその死を悼み、宣教師オルガンティーノに頼み教会葬で送っています。最後まで信仰に生きた彼女の話はここで終わりません。
ガラシャのことはオルガンティーノを通してローマに伝わっていました。約100年後の1698年にローマ帝国皇后の聖名祝の記念としてウィーンで初演された戯曲がありました。そのタイトルは「強き女~その名を丹後王国の女王ガラシャ」
奇しくも今年5月、ガラシャゆかりの丹後舞鶴、忠興が城主であった田辺城まつりに招かれて会津やっこ隊が参加しています。