氏郷公と会津

氏郷が建てた鶴ヶ城

1592年に漆黒、黒瓦にふんだんに金箔をほどこした七層の勇壮な城が完成。金箔は当時会津ではキリシタン大名であった氏郷が外国の金の採掘技術を取り入れ豊富に金が採れたことによるものです。城の名を、氏郷の幼名が鶴千代、また蒲生……

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氏郷が遺したもの その2

氏郷の窯 再現 蒲生氏郷が奥州仕置きにより会津に入ると、さっそく七層の天守閣の建設に着手します。屋根瓦を焼かせる必要から、城の近くの小田山山麓近辺に窯をたくさん作りました。その後1662年に会津本郷に窯が移され現在の会津……

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蒲生氏郷が遺したもの その1

氏郷は義父である織田信長のだるま信仰を倣い、起き上がり小法師を広めました。下級武士に、起き上がり小法師や風車、初音などを作らせて正月の初市で売らせ生計の助けにしたのです。写真の小法師は400年前当時のものです。今の小法師……

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キリシタン大名 その1

天正遣欧使節団が日本にいたヴァリアーノ神父の企画により九州のキリシタン大名の名代で4人の少年がローマに派遣され、ローマ法王と謁見。1590年に帰国。豊臣秀吉に帰国報告した際、蒲生氏郷も彼らを迎えた。その折り、氏郷はヴァリ……

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マジンガーZのモデル

蒲生氏郷の兜は、ナマズ型と燕尾型の2種類ありますが、マントを羽織った燕尾型兜の氏郷の姿は、マジンガーZのモデルになったそうです。因みに燕尾型兜は、氏郷の妹の嫁入り道具として送られ。今も岩手県立博物館に本物が展示してありま……

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福音の地 会津

「我らはこの地に再び十楽の地を築かねばならぬ。土地を豊かにし、商いを盛んにし、領民を幸せにすることこそが、我らの務めなのだ」 蒲生氏郷。 戦国時代、愛の国を本気で作ろうとしていた男が会津にいた。信長に’只者ではない’と言……

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